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万葉集梅花の宴の「梅」
寒さも少しずつ和らぎ、春の兆しが感じられるようになりましたね。2月下旬から3月にかけてはちょうど梅が咲く頃です。今でも現代の私たちは梅は愛でますが、その歴史は古く、万葉集の時代でも梅を見ながら歌を詠み合う梅花の宴が開かれました。ここでは梅花の宴の梅がどのように書かれたのかについてみていきましょう。
梅花(ばいくわ)の歌三十二首〔并(あは)せて序〕
天平二年正月十三日に、帥老(そちらう)の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)べたり。
時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。
これは元号「令和」のもとになったあの万葉集梅花の宴の序文です。諸説ありますが、宴の主催者である大伴旅人がこの序を読んだとされています。
梅花の宴とは、序文にもあるように、正月十三日に、九州の各国を統括する大宰府の長官であった大伴旅人(おおとものたびと)(665-731)の宅で盛大な宴が開催されたものです。大宰府が所轄する各地域から、選ばれた官人たちが集まって、梅見の宴を行ないました。その梅花の宴で「梅」はどのような表現をなされているのでしょうか。

序文はこのように続き、梅は次のように書かれています。

「梅は鏡前の粉(ふん)を披(ひら)き、(蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす。)」
梅は「鏡前の粉」を「披き」とあります。一体どういうことでしょうか。

①鏡前の粉鏡前の粉とはなにを思い浮かべるでしょうか? 現代の女性でも鏡の前でお化粧しますよね。万葉集が成立した奈良時代末期でも同じです。ここでは鏡の前で粉をつけること、つまり、女性が白粉をつけた顔のことをいいます。白い梅を、白粉をつけた鏡の前の女性に見立てているのです。

②披く「披く」とは、万葉集などの時代の言葉を調べるのに有力な時代別国語大辞典上代編(三省堂1992年)によると「開く」と同義で、「閉じふさがっていたものの間を押し広げる」の意味があります。唐代に書かれた伝奇小説の遊仙窟には、「蓮披霧」という表現も見られ、蓮は霧の中で披くとあり、花が咲くことを示しています。今でも花が咲くときに「花が開く」というように、ここでは梅の花が開くことを表しているのです。①でみたその白粉の白さが、「披く」つまり、白粉のような白い梅が「開く」ようだと表現しているのです。
ここでの現代語訳は次のようになります。(「新編日本古典文学全集」(小学館1996年)、「新日本古典文学大系」(岩波書店1999年)、「日本の古典を読む」(小学館2007年)、「鑑賞日本古典文学万葉集」(角川書店1976年)も参照)

梅は鏡の前の白粉のように白く咲き……白の梅を白粉を塗った女性の顔に例え、まるでその花が開くようだと表現したのです。そして、顔を白粉を塗った白さに映えて目立つのは唇。唇は赤の梅を表現しているようにも思われます。推測の域ではありますが、梅花の宴での梅は、白と赤、どちらも咲いていたのではないでしょうか。
直接言わずに隠喩で表現する技法や梅の花に見立てる当時の貴族たちの感性に、日本語の奥深さが感じられます。梅の蕾は大きく膨らみ、早咲きの梅はもう咲き始めています。日本の名文とともに春を感じてみてはいかがでしょうか。

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