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春はあけぼの

枕草子「春は曙」の響き
なぜ今に語り継がれるのか

寒さも和らぎ、もうすっかり春ですね。春といえばこんな名文を思い出されるのではないでしょうか。
──春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる──

[現代語訳]春はあけぼの。だんだん白んでくっきりとしてゆく山ぎわが、少し赤みを帯びて明るくなって、紫がかった雲が細く横になびいている。

ご存じの方も多いでしょう。枕草子の冒頭部分です。『春は』ときたら『曙(あけぼの)』……とセットになって思わず声に出てしまうと思います。暗唱されている方もいらっしゃるでしょう。この文は、なぜ現代でも子どもたちの教育現場の中で学び継がれ、記憶に残るほどの名文として語り継がれているのでしょうか?今回は特に前半部分を、二つの観点から考えていきたいと思います。

①隠されたたくさんの「始まり」
現代の日本でも4月の春を新年度としていますが、春というものは四季の中でも新しく始まるイメージが強いものです。平安時代のころは太陰暦が使われており1月から3月が春の季節でした。枕草子の冒頭は、1年の始まりである春から述べられているのです。また、曙とは角川古語大辞典によると「暁を過ぎて空がほのぼのと明けそめるころ。「あさぼらけ」より早く、物の色彩が次第に明るくなってくる時間」とされています。まだ電気のない古来の人々は太陽が出ることが1日の始まりでした。それを「春はあけぼの」という短い言葉で表現されているところが、読む人に新鮮な気持ちを与えるのかもしれません。言葉にも細かく注目してみましょう。一句目の「春」の「は」の母音は「a」、二句目「あけぼの」の「あ」の母音はそのまま「a」のように、どちらも母音の「a」で始まります。その音の響きも印象に残るポイントなのでしょうか。このように冒頭二句だけでも、多くの「始まり」が隠されているのです。あけぼのから朝になっていく様も、やうやうという序奏的な言葉で始まることによって徐々に変わっていくところが象徴的ですよね。

②的確な情景描写
後半部分で語られる、曙の様子について見てみましょう。暗い夜空から少し明るくなった様子から、白くなりゆく山際→少しあかりて→紫だちたる雲のように変化が順番通りに描かれています。夜空から変わっていく情景の様子を鋭い観察眼から色を用いて的確に描写・表現しているのがみてとれます。さらに「紫だちたる雲のほそくたなびきたる」では、紫色に色づいた雲の様子を、「細く横になびいている……」と書いています。特に比喩を使わないことも的確に描写したい清少納言の考えがあるのでしょうか。そのままの様子を書いているがゆえに清少納言が見たものを直接読み手が感じ取ることができるのかもしれません。また、最後のたなびきたるは終止形ではなく連体形で終わるため何かの言葉を省略しているのです。省略しているのは、美しい情景のことでしょうか、趣き深いという感覚でしょうか。ここにも言葉の余韻を感じさせますね。以上のように、後半部分は無駄のない文章で比較的短く書かれていますが、それにも関わらず、頭の中で朝を迎える空の映像がくっきりと浮かぶほどの印象を受けます。美しい朝の様子を肌に感じられるのではないでしょうか。それがこの文章の素晴らしいところです。多くの始まりで表現される言葉たちと声に出した時に広がる音、風景を鋭い感性で捉えた情景描写などなど。長く親しまれ読み継がれてきた所以なのでしょう。
春の曙の様子は昔も今も変わらないのかもしれませんね。清少納言が味わったように、春の訪れを感じてみてはいかがでしょうか。

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